思い出がよみがえるナンチャンラーメン

No.08

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小さな屋台からはじまり、

ファンを増やし続ける、

50年来の人気店。

屋台で食べるラーメン。そう聞くとなんとなく懐かしさを覚える。ここナンチャンラーメンも元々屋台から始まったという一軒。提供するラーメンの中には、創業当時の味を再現したものもあるとか。人々を魅了してきた歴史ある一杯を求め、絶メシ調査員・寺田が現地へと向かった!

ライター寺田

どうも絶メシ調査員の寺田です。今回訪れたこの店は創業50年。片町で24年間店を続けその後、松村に移転。現在この地で26年間目を迎えたとのこと。入り口にでかでかと掲げられた看板には「屋台の味」。ん~気になる! どんな一杯が出てくるのか考えるだけで、お腹が鳴ってきます…。

コンコンと扉をノック。しかし返事がない…。「こんにちはー」とドアをあけお邪魔いたします。「おおようきた」と今年70歳を迎えた店主の南幸夫(みなみ ゆきお)さんと南ますみさんが出迎えてくれました。

ライター寺田

よろしくお願い致します。いろいろとお話し聞かせてください!

幸夫さん
なんでも聞いて。答えられる範囲で答えるから(笑)
ライター寺田

ありがとうございます。じゃあまず、ご主人が店を始めたきっかけを教えてください

幸夫さん
ん~(しばし沈黙)
ライター寺田
(あれ、初っ端からダメな質問だったのか…)
幸夫さん

そうやなぁ~。兄貴が料理人やっていた影響が大きいね。今もラーメン屋やっとるし、わしも18の時かな学校途中でやめて(笑)。今はないんだけど尾山町の中華料理店に修業に行って、20歳で片町に店を構えたんよ。「手打ちラーメン」とトッピングだけの

ライター寺田

あ!それが看板の屋台の味?それにしても若くから修業に行かれたんですね。(なるほどだからちょっと渋ったのか)でも!結果的に20歳で自分の店開いたわけですから、すごいじゃないですか

ますみさん
店名も自分の名字からとってね
ライター寺田
南さんだからナンチャン…。オープンさせた店ってどんな感じだったんですか? 規模とかは?
幸夫さん
小さかったよ。3.5坪の屋台ラーメンだから。カウンターも5席。従業員とお客さん入ったらパンパン。それでも多い時には一日500人くらいの人が来てくれたんやわ。
ライター寺田

500人!

幸夫さん

今じゃ考えられんけど外にイス置いたり、立って食べる人もいたからね。当時はラーメン屋も少なかったし、屋台も許されてた時代だったからね。値段も一杯70~80円くらいだったかなぁ~。営業時間も17時から朝5時までやってたから、片町で働く人、特にタクシーの運転手や夜の店やってる人がたくさん来てくれたんよ

ますみさん

でもね、店が汚かったから、綺麗な服着て来てくれる人に申し訳なかったの。汚れるんじゃないかってね。当時は申し訳なさもあったのよ

 

ライター寺田

いろんな方が足を運んでくださったんですね。すごいです。…ご主人!申し訳ないのですが、当時の味「手打ちラーメン」をお願いできますか

 

「はいよ。ちょっと待ってて」っと慣れた手つきで調理を開始する幸夫さん。

歴史ある店の裏側には、
店主のこだわりが潜んでいた。

17時から翌日朝5時まで営業していた当時の『ナンチャンラーメン』。腹を空かせた人から飲んだ後に〆にと多くの人が足を運んだ。特製の平打ち麺に合わせ、鶏と豚から出汁を取ったスープを使った「手打ちラーメン」650円。移転当時は麺を細麺に変え、バリエーションも増やしてきたが、片町時代を懐かしむ声も多く数年前にこのメニューを復活させたという。「味わいは時代と共に変化させて行きながらも、ベースは変えない」と幸夫さん。松村に移ってから価格も長い事変えてないんだとか。

 

では! いただきます!
ライター寺田

美味しいです!かえしのコクと共に鶏ガラの旨味が平打ち麺にも絡んできますね。豚の風味も後追う。これチャーシューも自家製ですか? このやわらかいチャーシューのコクもスープの味を引き立ててますね

 

幸夫さん

そうや。かえし使ってしっかり味付けしとるんや。もう一品おすすめあるんやけど作ろうか?

ライター寺田
ぜひ!(即答)

ネギに染まったスープを見よ!

オーダー後、数分で出てきたのは細麺を使い、万能ねぎがたっぷり入った「ネギラーメン」700円。

ライター寺田

あっさりした味わいながら、しっかりとした旨味を出すスープ。ネギの風味が出汁を強調してますね。細麺がネギとマッチして食感も良い。麺をすすっては、スープを飲む! がルーティーンになってきますね

ますみさん

学生さんも沢山きてくれるのよ。大きくなった当時の人もいまだに食べに来てくれるのよ

幸夫さん
(笑)屋台の頃に来てくれていたお客さんが今でも来てくれるのは、ありがたい。みんな歳とってしまってるけどな(笑)
ライター寺田

へぇ~(すみません、このとき私は相槌を打ちながら夢中でラーメンを食べていました)

ごちそうさまでした!

ラーメンを食べ終わると、当時を思い出したのか、幸夫さんは片町時代の写真を見せてくれた。

この黄色いビニールの向こうに小さなカウンターがあり、そこでみんなラーメンをすすっていた。見せてもらった他の写真には、お客さんの笑顔であふれているものも。

幸夫さん
長い話や…もう50年や
ライター寺田

すごいことですよ。…ちなみにお父さんには、お弟子さんとかいらっしゃるんですか?

幸夫さん
おらんね
ますみさん

(笑)昔はおったんよ。片町の屋台から一度「エイケンレジャックビル」に移った時にラーメン教えてほしいって人が。その人も独立しちゃったからね。私達はその後に今の場所、私の実家にね移ったのよ。子供もおったしね

ライター寺田

弟子いたんですか!? そしてここお母さんのご実家だったんですか!? お子さんもいらっしゃったんですね~!(急にいろいろ出てきたぞ)

ますみさん

そうや、元々ここで母が焼肉屋やってたんよ。そんで場所開くしちょうどいいねって。上が住まいや。

幸夫さん
子供3人も今やサラリーマンや
ライター寺田
お店をついで欲しいとかないんですか?
幸夫さん

みんなそれぞれ仕事しとるし、それに簡単に習ってできるもんじゃないからね…。レシピ覚えてそれで終わりじゃないんよ。そこから自分で納得できるように手かけていかな。わしもそこまではきっと教えられん。そればっかりは経験を積んでいくしかないんや。もし、そこまで本気の人がいれば分からんけど、今は2代目の予定はないんよ

中途半端になったらダメだと、
自身で納得できる結果を作り続けた50年

幸夫さんの「簡単にならって出来るもんじゃない…」という言葉には、これまで守ってきた味への誇りと重みが感じられた。片町時代を思い出にする人、ここ松村が思い出になった人。時代が変わっても、場所が変わっても『ナンチャンラーメン』が求められる訳がすこし分かった気がする調査だった。

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