ここにあるのが当たり前駒信食堂

No.07

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

昭和初期から、

小松の食を支えてきた、

大衆食堂の現在。

ライター寺田

小松市栗津駅の近く、旧8号線沿いの『駒信食堂』は早い・安いをモットーにした大衆食堂。深夜3時まで営業しており、中華料理をはじめご飯物などを提供しているが、中でもうどんが旨いと評判とのこと。また、近隣の人はもちろん片山津温泉から夜な夜な店を訪れる人も多いのだとか。そんな愛され店のうどんを味わいに…味を絶やすわけにはいかないっと! 今回もまた絶メシ調査隊・寺田が現地へ向かいました。

(取材:絶メシ!いしかわ調査隊    ライター名:寺田尚人)

製造業が盛んなこの土地で54年もの間、
小松市民の胃袋を満足させてきた。

店につくと入り口に張り紙が…。11時からの営業を18時からに変更しますとのこと。「なぬ!? お昼もやっていると聞いていたのに、なぜ?」などと考え張り紙を見ていると「すみません、営業は18時からなんですわ」と一人の男性が!
ライター寺田
すみません。私、絶メシ調査をお願いしていた…

「あぁ!お客さんかと思いまして。どうぞどうぞ中に」っと、声をかけてくれたの現店主の永山大(だい)さんだった。

「よろしくお願いします」と店内に。中はカウンターが10席ほどと、お座敷が二つ、壁にはお客さんたちの写真が飾られていました。「自分カメラが趣味なんで、たまに写真撮って飾ってるんよ」と大さん。笑顔の溢れる写真からも、この店の愛され具合が伝わってきます。ハロウィーンコスプレをして楽しむお客さんの写真の横に気になる写真を発見。

ライター寺田
あれこの写真?
大さん
それは移転前の写真やわ。言っても今の場所から30秒くらいしか離れてなかったんやけどな

移転前は出前が中心だったというが今は?

大さん
この店は俺が2代目なんだけど、親父(初代)が60歳のときだったかなぁ。もう20年位前に一度移転してんるんやわ。移転前は、席数も今の半分くらいで昼はほぼ出前中心でやっててん。岡持ちもってな
ライター寺田
へぇ~。今じゃ岡持ちもって出前って中々見ないですもんね

そこであることを思い出す、調査員寺田。

ライター寺田
そういえば、ランチ営業されてましたよね? 店先の張り紙で営業時間変更ってありましたけど、どうしてお昼やめられたんですか?
大さん
いやーすみません。実はうちの親父が今年に入って体壊してしまって入院しちゃったもんで、いろいろ考えさせてもらって店はたたまずに、営業時間だけ変えさせてもらったんやわ
ライター寺田
(なんですとぉ~!)じゃあもしかしたら、お店閉めちゃう可能性もあったわけですか?
大さん
可能性はあったけどな。なんとか店閉めんようにしてん。でも、俺、元々は店継ぐ気はなかってん。移転を考える前までな。道路拡張とかで店を移さなきゃならん状況になってな、どうするって話になったんよ。親父はもう60代だし費用掛けてまで、店続けるかって…。そん時、自分のことやっと真剣に考えて、人生も折り返しだしどうしよっかなって…。それでも店に来てるれるお客さんの事とか考えたら、なくすのは惜しいし俺も本気でやるかって決意したんよ
ライター寺田
じゃあ、移転の話がなかったら?
大さん
継がなかったと思うわ。駐車場もない小っちゃい店だったし、そのまま廃業やね。たぶん深く考えることもなかったと思うし、俺も仕事してたからなぁ
ライター寺田
そうだったんですね。(それって、なんだかんだ言って二度、閉店の危機を回避したわけですよね)
大さん
前置き長くなったけど早速、人気の「肉うどん」作りますか
ライター寺田
お願い致します!!

2代目になったきっかけは移転

先代の永山辰雄(たつお)さんは今年79歳。それでも、退院したら仕込みくらいは手伝いたいと考えているようで、店への思い入れの強さをひしひしと感じる。そんな先代から料理を学んだ2代目の大さん。自身も務めていた会社を辞めて地元の飲食店や居酒屋などで修業。酒を楽しんで飲めるようにしたいと居酒屋メニューも充実させていった。仕込みをはじめ、一手間、二手間かけるが特別なことは特にないと話すが、その仕込みや手間は、辰雄さん譲りで妥協はない。調理に使う火力一つとっても細かなこだわりが垣間見える。店の雰囲気も当時の面影を残しながら、楽しく食事ができるようにと心掛け。モットーでもある安く・早くも忘れない。

大さん
おまたせ
ライター寺田
早い! そして出汁の香りもいい!

見よ!この透き通るようなスープを!

10種類以上のうどんから、今回は一押しの「肉うどん」700円をオーダー。食材の分量や組み合わせを計算し、先代が生み出した自慢の一品だ。ウルメやサバ節、昆布をふんだんに使ったまろやかな味わいの出汁に肉の旨味がとけ込む。また、創業当時から取引先を含め、使っている食材を変えていないという。

ツルッと程よい腰のある細めの麺。しだいに甘味のある優しい味わいが体中にしみわたるぅ~

ライター寺田
おいしぃい! スープはすっきりした味なのに、しっかりと麺に絡んできますね。お肉がまた、出汁の味わいを強調してくれて、スープにとける脂身はネギが押さえてくれるから、旨味をちゃんと感じられる。この程よい甘味の正体はなんですか?
大さん
砂糖やね(笑)
ライター寺田
…。え、本当ですか?
大さん
冗談や。こればっかりは秘密ですわ。親父が作り上げた味やから教えれんわ。でもやっぱり出汁やわな。俺もこの味は頑なに、忠実に守って行こうと思ってるんやわ
ライター寺田
ビックリしましたよ! ちゃんと甘味の理由あるじゃないですか!(教えてはもらえないようですが…)
大さん
(笑)。開業当時から親父こだわりの味やからね。当時から人気もあったみたいだし。今考えると、すごいわな。親父と御袋は子供育てながら厨房に入ってたわけだしなぁ

そう言って大さんが見せてくれたのは、父辰雄さんの写真。

右の写真には、若き日の大さんの姿も。

先代の辰雄さんは、中学卒業後、食べていくためにと飲食の道に進み金沢市内の中華料理店で修業。生まれ育った小松に戻り20代で店を始めたという。当時は、先代と同じように「モノ作りに勤しむ人達が限られた時間でお腹いっぱいにご飯が食べれるように」との思いで小松界隈には数多くの個人店があったという。しかし、徐々にご主人たちも高齢化、跡継ぎもおらず店舗の数が減っていってしまった…。

大さん
悲しいわな。知ってる店が無くなって、馴染みのある味が食べれんくなると。俺も昔は、店があることが当たり前に考えてたからな
ライター寺田
そうですね。大さんの場合は、サラリーマンと飲食の天秤で、移転や先代の思いが天秤を傾けたわけですもんね。きっかけがなかったら、僕はこの味に出会えてなかったわけですからね
大さん
せやな

「あとこれも貴重な物だと思うよ」と大さんが見せてくれたのは、

なんと54年前の営業許可書。

ライター寺田
すみません、これただの板だと思ってました(汗)
大さん
(笑)。当時の営業許可書で家宝ですわ。もう文字もほとんど見えんしな。でもいろんなものが詰まってるんよ
ライター寺田
この営業許可書のつまり、大さんの後継者っていらっしゃるんですか?
大さん
おらんねんて。俺も息子がおるけどな~。こういうのって強制するのはまた違うしな。俺も自分で考えて、それで本気で店を守って行こうってなったわけだしな。できれば3代、4代と続けていきたいけどなぁ。まぁこの先どうなるかは、分からんわな

「当たり前が突然になくなるのは悲しい、自分で何か一つでも残せるものなら」と大さんは父の味を継いだ。

最後に出前に使っていた岡持ちを見せてもらった。昼時、この岡持ちで届けられる料理を多くの人が心待ちにしていたのだろう。先代が倒れたこともあり、昼の営業は見直された。それでもなお、調査当日も昼にこの店を訪れる人が後を絶たなかった。そんな光景を見て『駒信食堂』は、昭和初期から愛され続ける味を今も、現代に守り伝え続け、昭和の始めから現在まで、あることが当たり前になっている貴重な一軒なのだと改めて感じた。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加